公務員を辞めて起業!~信じて動けば奇跡は遊ぶ~

公務員を辞めて起業!~信じて動けば奇跡は遊ぶ~

本当の想いを信じて、行動し続けたら、奇跡のような毎日が待っている。最高な日々をおくろう。そんなことを分かち合うブログ。

あなたは必要ないよ

普段、
夢とかわくわくとか感謝とか、
こんなことやりたいあんなことやりたいとか
こんな挑戦すると決めましたとか
そんな発信が多い俺ですが、ときには闇に目を向けてみる
 
俺が言われると、もしくは
そう言われたように錯覚したときに絶望することのひとつは
『あなたはもう必要ない』
と言われることかもしれない
 
もしくは
『あなたにはがっかりした』
『期待はずれだ』
『もう置いて、ひとりでいくことにした』
とか、そんな言葉。
 
それを直接まっすぐ俺にぶつける人はほとんどいない。
そういった要因で絶望することは今でもたびたびあるけれど、
多くの場合、俺が勝手にそう感じる錯覚であると自覚している。
 
それは、ときどき顔を出す。
 
 
 
最近、よくいくみんとスターウォーズのアニメを見ている。
もはや夜の習慣といっていいかもしれない。
クローンウォーズは、シーズン5くらいまであるのだけど、
シーズンあたり20話くらいあるので、しばらくこの毎日が続きそうだ。
 
でも、自分のなかでどうしても取り組みたい仕事などがあった場合、
黙々とパソコンに向かったりすることも多くて、
そういうときには、それをいくみんは察知して、
はやく布団に入ったりするのだけど、昨日もそんな流れだった。

22時が過ぎて疲れたのと区切りがよかったので、
「もしよかったらスターウォーズみる?」と聞いたら、
「仕事が終わった時にまだ私が起きてたら見るから、声かけてね」との返答。
仕事が10分くらいで終わったので、いくみんの様子を見ると、寝ている様子。
 
自分は置いていかれたような気がして、
ちょっと機嫌を損ね、エアコンと電気、パソコンを消して寝る準備に入った。
いくみんは待っていたってことも、頭では分かっていたのだけれど・・・。
 
まあ、それからご想像のとおりひともんちゃくあって
(というか、完全に自分のなかのこころの整理をいくみんを鏡に、させてもらって)
スターウォーズは見たんだけどね。笑
 
振り返ると、
「あなたのことなんて待っていられない」
と言われたかのように、歪んだ解釈をしたのだ。
 
待つよという言葉を、表面上のことだとみなしてちゃんと受け取らず、
それによって、悲しみを味わった。
  
 
 
こういう時は、悲しみを味わいたいから、現象化させているものだとおもっている。
 
でも、自分はもともと不感症というか、
感情を封じて生きてきたところがあるため、
いつもは何ごとのなかったかのように通りすぎてきた。
 
(惣士郎さんの言葉で言われたのは、感情を通り越して、
 精神を先に育てているためバランスが悪い)
 
だから、こうやって子どものときとかにちゃんと取り組めば
終わっているような課題に、今取り組んでいたりするのだ。
 
それを、出させてくれるほど自分が信頼している
甘えさせてもらえる、いくみんという存在に、本当に感謝だ。
 
 
 
なんでもないことが、事件になってしまうから、
自分のこのメンタルモデルはやっかいなのだ。
 
最近安定しているけれど、たまにある不安定なときは、
ちょっとした出来事で3日くらい沈みまくって
その世界から出てこられなくなることもある。
 
 
 
奥底では、変わらずその闇は存在している。
 
生きてきて常に、「今」が一番幸せだって思っていて
それは自分と向き合ってどんどん楽になっているし、
周りの愛に包み込まれている感覚が増しているからだけれど、
 
ずっとこわいって思っている。
  
今自分のことを慕ってくれている人も、
いずれ捨てて行くんでしょう?
去っていくんでしょ?
置いていくのでしょ?
いずれ必要なくなるんでしょ?
 
そもそも、あなたの人生にとって、
本当はいてもいなくても、変わらないのでしょ?
 
重要な存在じゃないでしょ?
いなくなったとしても、すぐ忘れるんでしょ?
 
ありとあらゆる人に対して、
それは今したしかったりよくあったりする人に向けても、
そんなことを思っているフシがある。
 
 
 
もちろん別の自分は、
そうではない部分だって、たくさん認識しているんだけど、
それでも、変わらずそんな自分は存在しているんだ。
 
だから
価値を高めなければ。
特別にならなければ。
与えられる人間であらなければ。
輝かなければ。
って思っていたりするよね。
 
自分のことに本当は価値がないと思っているから、
自分に自信満々な人をみると、違和感があったりするよね。
批判したい気持ちが湧いてきたりするよね
(実際に言葉にすることはなくても) 
 
人の価値にすごく敏感で
あの人はすごいけど、この人はたいしたことがない
とか、すごい比較している自分もいる 
 
本当は価値がないって思っているけど、
価値があることを願っているから、
人には価値があるっていうことを言い続けている
 
いつか置いていかれるのだから、
慕ってくれている人にも、自分のやわらかいところは見せない
大事なところを預けてしまったら、
失った時に立ち直れなくなるかもしれないから
 、
好きなときにいてくれていいし、去ってくれていいし、
という距離感と振舞いを大事にすることで、自分を守っている
 
 
 
人の役に立てないと、ものすごく悲しくなる
見たくない、闇を見てしまうから
 
ああ、そうだ
自分には価値がないんだったっていうところに
戻って来てしまうから
 
せっかく出逢ったのに
夢を見る生き方を大切にしようって、一緒に生きたのに、
どうしてあの人は諦めた?
 
どうして、いまそんなにもつらそうだったり
悲しい顔をしている?
 
自分が一緒にいた時間はなんだったのだろう
伝え続けたこと
大事にしようって確かめ合ったことは
いったいなんだったのだろう?
 
その悲しみは、その人に対してではなくて、
本当は自分に感じていること
 
 
 
と、ここまで書いてきて
普段自分のなかで感じたり、セルフセッションする以上に
深いものが湧いてきたことで、
ちょっとすっきりしてきて
気持ちが明るくなってきていたりするのだけど笑
 
そもそも闇が悪いとか、光がいいとか
そういうものじゃないよねって思う
 
自分が今の活動を出来ているのは、
確かに、この闇があったから
 
だからキラキラした人
楽しそうに生きている人、
人に希望を伝える人に憧れたし、
自分もそういう生き方をしたいと思った
 
人が離れても近づいても
どんどん入れ替わりがあったとしても、
自分はただ自分の想いに従って生きていくと決めたし
 
そこで出逢う人たちと
その瞬間、深く愛し合いたいとおもっている
 
どうにもならないものはどうにもならない
変えられないものは変えられない
事実は事実だし、
あるものはある
 
でも常に、自分が選択できることはあって
その中で最善を尽くすだけなのだ
 
 
 
本当のところ
未来なんて、全然わからないのだから、
置いていかれるとか
去っていくとか、
そんなことは死ぬまで分からない
 
それが起こった時に、
そのことに向き合えばいいのであって、
 
ただ、
今この瞬間目の前にあることに、
深く深く、
まっすぐ向き合うことの連続が人生なのであって、
それ以外のことはすべて幻想なのだ
 
 
 
きっと、
これを書くことによって、これからの
人との関わり方や、湧いてくることも変わってくるかもしれない
 
それから、これを読んだ人に
なにか共鳴するものがあったとしたら、
一緒に浄化されたりした人もいるかもしれない
 
 
 
なにはともあれ、
結局何も変わりなく
 
自分は今ここを大切に生きるしかないし、
 
そこで重なる人と繋がって
生きていきたいなって思っている
 
 
 
それでいいのだとおもう
ぜんぶうまくいっている
 
大丈夫
 
  
 
長文、よんでくれてありがとう<m(__)m>